個別最適と全体最適

一般に、「個別最適はよくない」と言われることが多い。
しかし、そもそも個別最適とは何なのか。全体最適とは何なのか。
そこを曖昧にしたままでは、議論は深まらない。

では、自分の仕事において、何が個別で、何が全体なのか。
そう問われると、「さて、どこまでを全体と考えればよいのか」と戸惑う人も多いだろう。

個々の作業なのか。
職場なのか。
部門なのか。
会社なのか。
市場なのか。
社会なのか。
国なのか。
世界なのか。

広げようと思えば、範囲はいくらでも広げられる。
だからこそ、全体最適を考える第一歩は、
どこまでを一つのシステムとして見るのかを定めることにある。

ただ現実には、人が把握できる範囲には限界がある。
影響を及ぼせる範囲にも限界がある。
全体最適を振りかざして、隣の職場や他社にまで口を出せば、
鬱陶しがられるのも無理はない。

人は結局、自分が見える範囲、自分が関われる範囲を「全体」として捉えがちである。
それは誤りというより、人間として自然なこと。

しかも、責任感のある人ほど、自分の仕事に一生懸命になる。
自分の責任を果たそうとすれば、自分の持ち場をしっかり守ろうとするのは当然。
だが、その一生懸命さが、ときに全体を壊してしまう。

全体の流れよりも、自分の担当範囲の効率や成果を優先しやすくなるからである。

つまり、自分の持ち場に集中すること自体が悪いのではない。
問題は、その集中がシステム全体の目的とずれたときである。

そのとき初めて、それは「個別最適」という問題として現れる。

個別最適とは、担当者のやる気や姿勢の問題ではない。
もっと言えば、現場の人が悪いわけでもない。
全体の方向づけが欠けていることから生じる、構造的な問題なのである。

ただ、個別最適が、そのまま全体最適につながるケースもある。
ある部分がシステムの制約であり、

その部分の改善が、全体の目的や制約と噛み合っているなら、

改善の努力は全体にも貢献することになる。


問題なのは、部分が頑張ることではない。
制約を特定せず、全体とつながらないまま、
部分だけが頑張ってしまうことなのである。
全体最適を目指すのであれば、まず想定するシステムの範囲を定義し、
そのシステムの目的や目標を明確にしなければならない。

その上で、何が制約なのか、どこに焦点を絞って改善すべきかを見極める。
こうした全体の方向づけこそが、マネジメントの仕事である。
システム全体を、一つの捉えやすい塊として見てみると、
全体最適はイメージしやすくなる。
たとえば、一つの工場全体を一つの製造設備として見てみる。
そうすると、各工程の効率を個別に上げることばかりを考える見方とは違い、


工場全体の流れや滞留、処理時間に目が向くようになる。

各工程の稼働率や効率を上げようとする見方と、

工場全体の流れや処理時間に注目する見方とでは、

改善すべき場所が変わってくる。

圧倒的に待ち時間が長いことに気づく。

前者では、目につきやすい工程、改善しやすい工程、

声の大きい工程に力を入れがちになる。
しかし後者では、まずは待ち時間を減らすこと、

そして全体の流れを決めている制約に自然と焦点が絞られる。
この焦点の違いこそが、個別最適と全体最適の核心である。

要するに、重要なのは、自分が影響を及ぼせるシステムの範囲を意識したうえで、

その中で全体を一つの塊として見る習慣を持つことである。
個々の要素をばらばらに見ている限り、部分ごとの正しさは見えても、

全体の矛盾は見えにくい。

だが、一つの塊として捉えると、どこに矛盾があり、

どこに手を打つべきかという改善のポイントが見えやすくなる。

全体最適とは、やみくもに視野を広げることではない。
まず自分(もしくは組織)が責任を持てる範囲を、
一つのシステムとして“広めに”見定めることである。


そこから、初めてマネジメントが始まる。
そして、そこを外したままでは、どれだけ一生懸命に頑張っても、

システムの全体最適にはつながらない。

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