個別最適の罠——省エネという「善意」が見えなくしているもの

省エネは、すべていいことのように見られる。
確かにそういう面はあるだろう。
しかし、果たしてどれくらい有効なのか、疑問に思うこともある。
(そう思うことすら許されない風潮もあるのだが)

変圧器で考えてみる。
省エネとは、すなわち抵抗値を下げること。
抵抗値を下げるというのは、
すなわち電線を太くすることにほかならない。
もしくは、導電率の高い材料を使うこと。
いずれにしても、材料コストは大幅に上がる。

では、電線が太くなれば、コイルを作る工数は増える。
大きさが大きくなれば、運べる台数も減る。
変圧器の供給量が減れば、産業全体へのダメージも大きくなる。
とくにコイルを作っている会社は、
中小製造業である場合も多く、それほど大きな投資もできない。
材料比率も高く、収益性も厳しい。
人の採用もままならず、生産台数も上がりにくい。
それだけの社会的コストと、中小製造業へのプレッシャーを与えて、
果たしてどれだけの効果が見込めるのだろうか。

個別の設備や変圧器の省エネを進めたとして、
もし全体の発電量が変わらないのであれば、
その効果はいったいどこにあるのか。
個別の省エネの総和が、全体の省エネにつながっていない。
各設備を使っている工場や会社の電気代が多少安くなる程度であれば、
それほど大騒ぎして行う省エネも、
結局は、ただ中小企業を苦しめているだけになっていないだろうか。

工場の生産性も同じだ。
制約以外の設備で生産能力を上げたとしても、
在庫や仕掛りが増えるだけになるかもしれない。
工場内の個別の処理時間を短くしても、
工場全体のリードタイムが短くならなければ、
全体の生産性としては変わらないのではないか。

非制約に対する生産性向上の施策は、
全体の生産台数を上げることにはならない。
個々の処理時間を短くしたとしても、
全体のリードタイムが変わらなければ、
工場全体を流れるモノのスピードも変わらない。

やたらと個別の話で大騒ぎするが、
全体観をもって対処すべきではないか。

省エネの話も、もし二酸化炭素の排出量を気にするのであれば、
(人為的な二酸化炭素の排出が地球温暖化につながっているかどうかは別として)
火力発電所の効率を上げることに全振りして対策すれば、
他の産業にまったく影響を与えることなく、
省エネにもつながるのではないだろうか。
全員が少しずつという考え方より、
一点集中での対策の方が全体としての効果が高いのでは。

やたらと個別の話にもっていきすぎる。
これは、多くのことに当てはまると思う。

全体観を持つことが必要である。
しかし世の中の風潮として、
やたらと個別の話、細かい話に原因を求めて、
結果的に、個別最適で全体最適にはなっていないように感じる。